ドックやクリニックの採血で基準値を越えたり、血圧が自分が思っているよりずいぶん高くて、要治療と言われたことがありませんか? 医師にいわれて、どうも納得いかなくても、それは当たり前です。何せ症状がないのですから。 医学が進歩してきて、検査をしたら、症状もないのに病気と言われる人たちがいます。高脂血症、糖尿病、高血圧などのいわゆる成人病(生活習慣病)です。2000年以降は、メタボリックシンドロームといって、肥満にこれらが関与したときの動脈硬化性疾患の確率の高さがクローズアップされ、特定健診の考え方のベースにもなっています。なんのために治療するのか?本当に自分は病気なのか、ほかっておいたらどうなるのか、医者のいっていることは正しいのか、食事だけで何とかならないのか?いったい、誰の言っていることが正しいのか? 自分の行動は自分で決める事が出来るはずです。本来、納得いかない治療は受けるべきではありません。納得できないまま、一旦医療機関を受診して、内服を開始しても続きません。医療は宗教ではありません。 ただ、痛みや症状がないというのは不気味です。知識がなければ自分で判断のしようがありません。自分が勉強しなければ、医者やデーターにふりまわされます。よい医師にかかりたい。しかし、誰が自分に合った医者なのかもわかりません。症状のない病気こそ、医者は選ぶべきですし、そのためには、自分である程度は勉強しなければなりません。 勉強しなければ要治療という言葉の威力に負けて、説明に納得がいかないまま、治療薬を飲みはじめるか、検査結果をこんなはずはないと無視し始めることになります。医療が宗教となります。教祖は学会であり、医師個人であったり色々だと思います。医療というカテゴリーそのものかもしれません。 そこで、確率という概念を取り入れてみませんか? 症状のない病気は100年前では認識されなかった病気です。つまり最近になっ て病気と認識された病気であり、このような病気は確率で考えるしかありません。基準をどこに置くか、どの程度なら満足できるのかを常に意識する必要があります。つまり、自分の今の状態でいたら、どのくらいの確率で病気が発生するのか?治療を行うことで、その確率を減らすことができるのか?治療の副作用により、かえって障害が発生してくる確率はどのくらいなのか?ということです。 確率は、症状の無い病気を考える上では、最も大切な概念です。 高血圧の人や糖尿病の方の全ての人が、病気をほかっておいたら、その病気のない人より早く不幸になるわけではありません。 その治療費と時間に見合うだけの効果はあるのか?自分が日々生活を気をつけることで、病院に通わなくてもなんとかなるよい方法はないのか?どのくらいの時間、経過観察したり、ほかっておいてもよいのか?自分は今後、どれくらい無茶できるのか? 治療を受けていても、そんな疑問が常に頭にあるはずです。 医療サイドから病気を考えていくときに、まず一般的な医療における医者の役割を考えてみますと、 急性疾患では急性の症状をとり、体を病気のない状態に戻すこと。 慢性疾患では健康のよきアドバイザーとなり、患者さんの活動性のある将来を構築すること。 上の2点になると思われますが、生活習慣病は慢性疾患であり、症状が表面に現れてこないような状態に保ち、処方、管理を行い、適切な生活のアドバイザーとなり、患者さんの未来において、不利益がおきにくい状態に導くことが、医療の役割になると考えます。 本来、症状のない病気で医療機関にかかるのは、将来起こりうる、自分にとって不利益な症状の発生の確率を下げるためです。 すでに医療機関に通院されている方に質問をすると、 1. もともと、将来、不利益な病態、症状が出る確率が人より高くないのに、貴重な時間とお金をさいてはいませんか? 2. 医者に通っているだけで、安心していませんか?(安心するだけでも本当は大事なことですが、限度があるということです。) 3. 自分に将来起こりうる不利益とは、何を想定していますか? ということになりますが、上の2つに確信をもって違うと言え、さらに、3番目の質問に明快に答えられる人がどれだけいるでしょうか? 症状のない病気に立ち向かうために、医師と患者の双方に対して、理解力が必要なのです。 症状のない病気は検査が発達し、そのデーターを持った人の、古典的な症状の出る病気の起こりやすさから、頭で考えてできた、病気の概念であり、前述したように百年前では病気とは認識されない病気です。 ほかっておくと、将来、脳梗塞、心筋梗塞、閉塞性動脈硬化症、などが起こる確率が高いため、病気と認識されているにすぎません(病気というより病気の前段階と考えるとよいのかもしれません)。現代では、これが多くの症状のある病気を引き起こすことがわかったため、病気とされているのです。 つまり、症状のある病気になる確率を下げるために病気の名前を付けて、治療の対象としているのです。 生活習慣病を治療するには、もともとの状態をほかっておいた場合と、治療を受けた場合にどれだけの差があるのか、あるいはないのか、差があるとするとどの程度なのか、これを見極める知識が必要です。 さらに、医者が、この知識を患者さんに還元していくためには、患者さんからの十分な信頼を受けることや、患者さんに余計な心配をかけないことなどの十分な配慮が必要です。 自分の将来を選択をするのには情報が必要なのです。普段の生活でも、物がよいからといって、いつでも、一番高い物を買うわけではないはずです。医者は選択枝をいろいろな側面から提供する必要があります。 医師が慢性病を経過観察していくためには十分な知識と、これを使いこなしていくための、しっかりとした哲学や経験が必要です。哲学がなければ、患者さんの治療を進めていくことことができません。 逆に哲学や経験だけで、知識がなければ、間違った方向に患者を誘導していく可能性があります。 症状の無い病気は、患者さんの本能が動きにくい病態です。前述したように、医師と患者の信頼関係を構築することが大切な要素です。 医師は常に勉強をして、最新の医学知識を吸収し、経験に基づいて、患者さんの年齢や性格を考慮して、自分の哲学を加味して治療していく姿勢が必要と考えています。 文責 2022/2/17 加藤徹哉 |
症状の無い病気をどうか考えるのか(確率で考える自分の健康)
この文章は、平成16年にTKクリニックの前身である黒川醫院のホームページに公開された文章を改変してものですが、今でも、そう色あせていないことが確認できました。医師になって11年、自分の医療に対してのスタンスがこの頃にはほぼ完成していることがわかりました。